眠った村と壊れた橋。

レビュー多。

『あの花』(Blu-ray BOX)へのAmazonレビューの写し

『めんまとの邂逅』




「長いタイトルを短く縮めて「あの花」と呼ばれるこの作品。

 見終えた人は恐らく、哀愁の味わい濃い感傷的な気分になるのではないでしょうか?(わたしは実際そうなりました。)
 わけてもポケモンの金銀を発売当時に遊び、再放送のフランダースの犬とキッズ・ウォーを見、その主題歌”Secret Base”を聞いていた人は、まるでこの作品の作者及び登場人物が、同時代の者であるかのような、そんな不思議な共感を抱いたのではないかと思います。


 エピソードは総計して十一話と非常にコンパクトですが、スタッフの手により過不足なく上手にまとめられているため、視聴中制作陣への不満や疑惑に悩まされることはほとんどありません。我々は安心して、少年少女の思春期らしい学校生活への憂慮や、恋愛の甘く苦い悩み、友情と敵意の葛藤などを含んだ青春ドラマを見ることが出来ます。


 この作品中、最も強くわたしの胸を打ったのは、ヒロインであるめんまです。
 彼女はすでに亡くなっている彼岸の人ですが、叶えて欲しい願いがあるため、ある夏此岸へと、幽霊のようなかりそめの生を受けて蘇ってきます。
 引きこもり生活中の主人公仁太のもとに現れた彼女は、心は亡くなった当時の、幼い子供の頃のままでしたが、姿は彼と同じく長い時間を過ごして成長していました。
 めんまとの出遭いに戸惑いつつも、仁太は彼女に促されて、怠惰な生活に慣れたおのれを励まし、今は縁遠くなってしまった旧友たちを糾合します。同時にそれは、各自に過去を振り返らせる契機となりました。
 再び顔を合わせたかつての親友である彼らは、折々揉めたり、いがみ合ったりしましたが、物語は破局に逢着することなく、めんまを軸として穏やかに最後まで向かっていきます。


 めんまという少女は、アニメにしか存在しないと失望するほどに他者への配慮を怠らない、信じられないくらい純良な存在です。
 彼女がどうしてそこまで純良に作られ、そしてどうして多くの人が彼女のために涙をこぼすのか、それらのことに思いを馳せると、わたしは切なさで胸が締め付けられる気がします。 
 たぶん内心では皆、この現実にあって、めんまのような純粋な存在を身近に求めているのではないでしょうか?


 めんまが蘇ってきた夏の眩しい風景は、成長途上にいるあらゆる人の心に不思議な作用を及ぼし、鮮明な過去のイメージの中へ我々を、見えざる手で心地よくいざないます。いわば、夏の風景が多くの大人になった、あるいは大人になりかけの人々に、記憶のアルバムを開いてみせるのです。


 過去との再会が「あの花」の主要なテーマですが、それは、仁太と旧友たちとめんま、そして、仁太と彼の病死した母親の関係の中に描かれています。


 仁太とその旧友たちは、めんまの願いの実現に懸命になる中で、彼女との紐帯をもう一度つなぎ合わせて、皆が一緒に遊んでいたかつての、めんまが生きていて、それぞれが幼く陽気だった昔の関係に立ち返ろうとします。反発と協力とを繰り返しながら。


 途中、主人公仁太が、めんまによって死んだ母親と母子の関係を一時的に取り戻すシーンがありますが、わたしはそこがこの作品の圧巻の部分なのではないかと思います。
 今は仏壇に遺影の置かれた母親が、生前息子仁太に対しどんな思いを抱き、そしてめんまがどのように彼女と彼の、生と死に断たれた関係を取り持ったのか。
 母親が不在であることは、男の子にとって大きな損失です。仁太はそのことに深い悲しみを持っていたはずです。
 母親の息子への思いと、仁太の(隠れた)悲しみが、めんまの願いを媒介として一つの結晶と化す時は、思い出されなかった過去の記憶と現実とが奇跡的にリンクし、鮮烈な感情を生み出す絶好の美しいシーンです。


 この作品を観終えた後、感動の余韻の他に、めんまの印象が根強く残ったままなのは、たぶん心の奥深くに、彼女が潜んでいるからなのだと思います。
 めんまは、過去の記憶が分かりよくキャラクターとして象徴化された存在です。
 彼女のもとへと至る追憶の道を辿ってみてはどうですか?、という勧めの声を、わたしは「あの花」から聞き取った気がします。


 身近な人が亡くなったことになっている点で、この作品は、暗くて重苦しい、悲しい物語なのかも知れません。ですがわたしは、この作品には、運命に愛された人生のエッセンスがたくさん詰まっているような気がしてなりません。


 最後にわたしは、「あの花」を丹念に作ってくれた制作スタッフのみなさんに多大の感謝を陳べると同時に、この作品があなたの一生においてもかけがえのないものになることを心から願って、本レビューを締めたいと思います。」




あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 Blu-ray BOX(完全生産限定版)
あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 Blu-ray BOX(完全生産限定版)
アニプレックス
2013-08-21
DVD

『プラネテス』への回想と自殺について

 プラネテスは、先日見終えたばかりの作品で、そのプロットや作画、音楽の思い出は未だほかほかなままですが、いやぁ、実に佳い印象をくれるものでした。


 作品はできる限り物理に従って作られたらしく、たしかにそれ相応に、ディテールがすごくリアルで、見ている自分も心なしか宇宙の感じを、ほのかにではあれ、味わえる気がしました。また、仕事への観念について考えさせてくれる作品でもありました。派遣社員や、出世、派閥というなわばり、利権、会社と会社の、あるいは部署と部署の格差など、色々な、これもリアルな、社会の問題が劇中に描かれていて、ぼくのような社会人の卵というか、子供と大人のはざまに立っている者にとっては、頭を悩ませられるほどに、その問題は深刻なように思えました。


 それはともかく、です。(結構熱っぽく語ってしまったのですがね。)


 ぼくはもし自殺をするなら、窒息死は嫌だなぁ、と感じました。プラネテスを観て。


 劇中でね、窒息しかける様子が、克明に、迫真のアニメーションと声の演技で、つまりこれもリアルに、描かれるのですが、それがひどく、それはもう、とってもひどく、苦しそうなのです。死ぬより苦しそうでした。首を吊るとあんな風なのだろうなぁ、とおのずと想像されます。もし首を吊るなら、ね。


 つまり、窒息は自殺の方法としては避けられたし、ということですね。


 なんかダークな話になっちゃいましたかね? 今回。


 次回は明るかったら良いな。


 では( ̄^ ̄)ゞ

カイバーマンの激励


 こないだ観た遊戯王GXの、カイバーマンが出てくる話。

 これがものすごく、今になってぼくの心を打ちます。(気持ちの昂ぶりを感じます。)

 どんな小説にも引けを取らない、魂の強いメッセージが、この話に込められている気がします。(わけてもカイバーマンのセリフにね。)


 それは、デュエルが楽しいものではなくなってきた、いわばスランプ状態になった主人公十代が、カイバーマンとのデュエルに負けて倒れた時に彼に言われたセリフです。


「おのれの力で立ち上がれるか? 立てれば良し、立ち上がれなければ、そこまでだ。」


 このセリフ。良いですよねぇ。。。

 何と言いましょうか、これは、七転び八起きのような、励ましに満ちた金言のようなセリフです。


 ぼくは創作する時、毎回と言って良いほど自分の拙劣さにほとほと呆れて、打しおれてしまうのですが、それじゃあだめですね。とそんな風に、カイバーマンの言葉を受けて感じます。


 誰かからの賛美が欲しい、慰めが欲しい、励ましが欲しい。ぼくは、よくそう、くよくよと思ってしまいます。


 だけど、それを求めるのは打たれ弱さであり、怠惰であり、また、意気地のなさであって、結局、創作する、或いはその他の独自の道をゆかんとする者は誰も、苦難の局面に倒れても、諦めては、敗北を認めてはいけないんですね。

 何度激しい攻撃を喰らって倒れても、立ち上がる。


 そんな、嵐の中の樹のような、波打ち際の岩のような、屈強さ、頑固さ、粘り強さ。それらが全て備わった、一人前の男になりたいものですね。(なれれば良いなぁ、なんてなよなよと考えてしまいますが苦笑)


 でも、ネバーギブアップ! 


 もう一つ、カイバーマンの金言


 「敗けて勝て!」


 くぅ~! カイバーマンとお酒が飲めたらなぁ、としみじみ感じる今。


 あ、ちなみに、カイバーマンが金言を吐くシーンのBGMも良いもんですよ! 曲名は英語ですが「Spirits」です。ようつべで検索されれば多分見つかると思いますよ。


 では今日はこのへんで。