眠った村と壊れた橋。

レビュー多。

『プラネテス』への回想と自殺について

 プラネテスは、先日見終えたばかりの作品で、そのプロットや作画、音楽の思い出は未だほかほかなままですが、いやぁ、実に佳い印象をくれるものでした。


 作品はできる限り物理に従って作られたらしく、たしかにそれ相応に、ディテールがすごくリアルで、見ている自分も心なしか宇宙の感じを、ほのかにではあれ、味わえる気がしました。また、仕事への観念について考えさせてくれる作品でもありました。派遣社員や、出世、派閥というなわばり、利権、会社と会社の、あるいは部署と部署の格差など、色々な、これもリアルな、社会の問題が劇中に描かれていて、ぼくのような社会人の卵というか、子供と大人のはざまに立っている者にとっては、頭を悩ませられるほどに、その問題は深刻なように思えました。


 それはともかく、です。(結構熱っぽく語ってしまったのですがね。)


 ぼくはもし自殺をするなら、窒息死は嫌だなぁ、と感じました。プラネテスを観て。


 劇中でね、窒息しかける様子が、克明に、迫真のアニメーションと声の演技で、つまりこれもリアルに、描かれるのですが、それがひどく、それはもう、とってもひどく、苦しそうなのです。死ぬより苦しそうでした。首を吊るとあんな風なのだろうなぁ、とおのずと想像されます。もし首を吊るなら、ね。


 つまり、窒息は自殺の方法としては避けられたし、ということですね。


 なんかダークな話になっちゃいましたかね? 今回。


 次回は明るかったら良いな。


 では( ̄^ ̄)ゞ

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