舞い込んできた新しき手札
今日も見ました遊戯王GX。
62話。いやー、この話視て涙が出そうになりました。(実際両目はうるうるしてたと思います。)
十代が闇のデュエルへのショック以来、またスランプに陥ったんです。ライバルに負けてね。そのライバルが、似たような個性の相手だったため、十代の気落ちはひとしおでした。本来十代にとって唯一無二の生きがいであるデュエルが、その敗北によって、彼の重荷となってしまいました。
十代はしばらく放心してさすらいます。その途中流れ星を目にしますが、それに向けて祈る願いさえ彼にはありませんでした。それくらい彼は空っぽだったというわけです。(ギャグも冴えませんでした。)
その流れ星はあろうことか隕石でした。隕石は十代を未知の空間ネオスペースへとワープさせました。そこで十代は言葉を喋るイルカみたいな格好の星人に出遭います。
そして彼から色々なことを教わります。宇宙は危機に直面している。宇宙に本来ある生命をはぐくむ闇が、破滅の光におびやかされている。うんぬん。そこで十代、君に力を貸して欲しい、というわけです。
その話がひとまず終わり、彼はやってきたロボットみたいなエーリアンとデュエルします。
十代のスランプは彼にカードを白紙に見せ、精霊の声に対しつんぼにさせましたが、ふと何かを思い出したようで、急にカードへの視力が戻ります。デュエルのセンスというか。
十代が思い出したのはデュエルをする時の、わくわく感でした。デュエルを楽しむ気持ち、子供の時に抱いた、宇宙を救うヒーローになりたいという願いから始めたデュエルに、無限の可能性のあることを信じまた感じること。
そういえばこの話にも、ぼくが以前感動した時と同じく、海馬社長が出てきます。以前のはカイバーマンでしたがね。社長の出てくる回は、なんか感動するんですよねー。
話を戻します。十代がふたたび見られるようになったカードには、新しいものが含まれていました。彼が信頼し憧れるエレメンタルヒーローの新星ネオスと、その仲間コクーンドルフィーナ、そしてダンディライオンです。ドルフィーナとライオンは十代が子供の時に想像しその中で共に遊んだ架空の友だち兼デュエルモンスターでした。
十代はその二体をフィールドに召喚。攻撃力は貧弱です。それに反して相手は、攻撃力3000のモンスターを出しています。
ぼくは、この十代のモンスターと、相手のモンスターが対峙している時に、なんか胸がキュン、としちゃったんです。
つまり、十代のモンスターが、相手のモンスターに対して怯えた様子をしたんですね。それがどうも、十代が子供の時に持ったイメージと同じではないけれど、ぼくに、一般的な、というか、普遍的なヒーローへの信仰心をそそった、と言うのでしょうか。
コクーンドルフィーナもダンディライオンも子供時代の十代の創作です。そのモンスターが怯えているようすは、十代の、というよりむしろ、あらゆる人間の子供が怯えている姿とだぶって見えました。
悲しいと同時に、嬉しいというのか、可愛いというのか、とにかく、そんなような、複雑で微妙な感情になりました。
結局、この話でぼくが胸打たれたのは、十代という、大人、ではないですが、大人になりかけの大きな子供に宿った、子供の心なのです。それが手痛い衝撃にやられて打ちしおれてしまった彼に、純粋な活気と盛んな意欲、健康的な楽観主義、ユーモアを取り戻させる過程は、ぼくに何か、悩みに打ち克つためのヒントを、思い起こさせてくれたような気がします。
間違いなく、この話はぼくの魂に深く刻まれて未来永劫忘れられないことでしょう。
みなさんもぜひ、遊戯王GX、視てみてください♪
あっ、今回のブログのタイトル、『舞い込んできた新しき手札』は、要するに、ぼく自信にも何か、新たなステップへの手段が手に入った、というような意味です。それについてあまり深く掘り下げられず、すみません。つい感想にウェイトをかけすぎちゃって。
では、また(・・;)!