眠った村と壊れた橋。

レビュー多。

遊びから義務への変遷

 かれこれ一ヶ月以上に渡ってこつこつ見続けている遊戯王GX。

 物語はとうとう後半へ突入。ネットで揶揄を込めて言われている「欝展開」に相応しく、後半の各話は薄闇に覆われているようで、顔がほころびる場面が少なく、陰鬱な気分になる時が多い。

 初めに見た第一話から現在の第一三〇話くらいまでの移りゆきを眺めて痛感させられるのは、十代の嘗(な)める苦労である。

 十代にとって本来、デュエルはただ楽しむためにするものであり、人質を救ったり、誰かの仇を取ったり、世界を破滅から守ったりするために行うような、重苦しく、不自由で、大層なものでは決してなかった。元来においては、屈託なくデュエルを挑んで、融通無碍に楽しみ、勝ち負けにこだわらずに満足するのがこの物語の主人公、遊城十代であった。その頃の彼は本当に、いわゆる竹を割ったようなさっぱりとした性格で、見ているこっちまで自然と明るくなってしまうような、そんな魅力を持ったキャラだった。

 ところが、物語が進んで、ことの成り行きによりデュエルせざるを得ない状況に十代が陥っていくのを見ていると、ぼくは、明るくなるどころか、胸が締め付けられる思いになる。

 好きだったことが、義務としての性質を帯び、負担や重圧の源になっていくのは、さぞかし心苦しいことに違いない。そんな苦行を続けなければならない十代には、共感の念に耐えない。

 ぼくは、この、遊戯王GXの百話を越えて長々と展開してきた話が、心なしか、至純な子供の心から、陰険な闇を無理くり引きずり出す過程のように思われて仕方がない。これは大仰に聞こえるだろう。しかし、本心である。まったくもって惨い。


 でも、見続けます、根気よく。なんか、あたたかく見届けたい気持ちになりますね、十代がこの苦行を乗り越えるまでを。


 遊戯王GX。けっこうダークですよ~。でもおすすめの作品です。まだご覧になってない方は、ぜひどうぞ♪  


 では( ̄^ ̄)ゞ

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