眠った村と壊れた橋。

レビュー多。

家居(ひきこもり)

 春からちょっぴり新味ある生活に変わる(予定の)ぼく大学生は、現在の生活内容を考えてみるに、《ひきこもり》と言って差し支えない。

 さっきネットでひきこもりあるあるを見ていた。その中にけっこう共感できるものが幾つかあって、嬉しいような、悲しいような、複雑な気持ちになった。まぁ、同じ感情を持っている人がいると知るのは、少なくとも孤独の癒しにはなってくれる。

 では、あるあるの例を幾らか下に。

(1)厭世的になり不吉なことを願うようになる。

 ねたみ、そねみなどの卑しい感情は、ひきこもりで人と会わない以上無縁なもののように思えるが、案外目ざとく世の中の動向をみはっているようで、誰かの成功や活躍のニュースに接すると、にわかに胸苦しくなる。

(2)時間に対して岩の感覚になる。

 自分は何も変わっていないようだが、身の回りは目まぐるしく変わっている。変化のない生活は、時間経過を早める模様。

(3)土日になると安心する。

 ひきこもりの罪悪感が休息できる日。みんな休日らしく過ごしているから、ぼんやりしていても後ろめたい感じがあまりない。

(4)家事を頑張る。

 家族への優しさに加えて後ろめたさからの家事。それにひきこもりにはやることがない。食器洗いや洗濯をして少しでも時間のブランクを埋める。

(5)死にたくなる。

 ひきこもりあるあるのベストではないだろうか、これは。我が身が常に、厭世感、終末感、倦怠感など、活力を萎えさせるあらゆる感情の巣窟となる。ドラえもんか、人生のリセットボタンが欲しくなる。(ドラえもんがこんな願い叶えてくれるか。ふじこ先生ごめんなさい。)


 逆に、"?"となったあるあるも少し、また下に。

(1)衰弱して病気になる。

 これが精神的なものならうなずけるが、身体的なものなら共感できない。ひきこもりは家によってウイルスとの接触からかなり守られているので、案外風邪をひかず、元気である。

(2)太る。

 運動せずに食っちゃ寝したらそうなるのだろうが、あいにくがりがりである。

(3)算数ができなくなる。

 ここまでなってはひきこもりのプロと言えるだろう。もちろん皮肉だが。3の次は、ん、5?それとも6?(ブラマヨ吉田の同級生の話を参考)


 まぁ、こんな風なのが、ひきこもりあるあるである。皆さんははたしてどれくらい共感できただろうか? たったの一つも共感なんて出来ないと言う人は、まちがいなくいると思う。それはたぶん、健康的でたくましくて、羨まれるべき生活をしている人だ。勝ち組とか言われる側の人だ。

 その反対に、われわれひきこもりは、不健康で貧弱で、負け組の情けない生活をしている。

 でも、ひきこもりって存外数が多く、社会問題にもなっているし、多分、今のこの時代の兆候で、何かしらの未来の兆しなんだと思う。当然、よからぬ兆しだけどね。キャリアを積まない。金銭を稼がない。しかも身体的にはジリ貧と。それでは、いい未来など望めるはずがない。でも、みなさん、楽観しましょう(暗笑)。このひきこもりという停滞の状況に、とどまりつづけるにつけ、終止符を打つにつけ、いち時代の兆候を体験するのは、人間として大切なことです。徹底的にひきこもってやりましょう。いずれまちがいなく外に出ねばならない時がくるはずです。その時まで、窮屈な空間の中で精一杯汚れ、そしてよどんでやりましょう。もうひきこもりなんてこりごりだ、と思える時までね!


(総括)すいません。ひきこもりあるあるを見て、何か書きたくなって、まんぜんと綴ってしまいました。ひきこもりについて誰かと話すのは、ひきこもりである以上無理ですよね。だからブログで書きたいなと思ったのです。悪しからず!


 では!

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