みずうみの文(あや)
おおむね晴れの今日。真冬の寒さが回復したようで、日中は陽光がよく差してさほど寒くありませんでしたが、朝夕は冷気が下りて、厚いコートが必要でした。
ぼくにとっては相変わらず冴えない、憂鬱な一日。いつもなら人と少しでも話せばそんな気分はすぐに和らぐのですが、今日はなぜか和らぎませんでした。もしかすると、今回のは、しっかりとした憂鬱なのかも知れませんね。たびたびあるような沈んだむら気ではなく。
音楽を聴いても、本を読んでも、一向に気は晴れません。まぁ、音楽も本も、それとなく楽しんではいるのですが、余り心療には役立ちません。
そんな心境で、今日ぼくは、みずうみにふらっと立ち寄ったんです。
そこは、普段けっこうな人気がある、おっきなみずうみなんですが、夕暮れ時に訪れたせいか、人の姿はまばらでした。もとより気温の低い日な上、水辺で空気が冷たいですから、好き好んで立ち寄ろうとする人なんているわけがありません。
そんな、残照が辛うじて浮き雲の端にある、らくばくとした環境の中で、ぼくはぽつんと、柵のそばに立ってみずうみを眺めてみました。
みずうみは、というか、広い水面は、すごく・・・いいものです。(しみじみ)
みずうみにね――そんなことは当たり前ですが――文様がありますでしょう、さざなみの織り成す、複雑な文様が?
その文様が、思ってたより綺麗なんですね。
風の勢いや向きの変化に応じて、波の文様も千変万化するのですが、そのどれにも見応えがあったので、ぼくは無意識の内に、その柵に沿って何回か道を往復してしまいました。
結果、いくらか憂鬱は治まりました。これは一種の自然療法なのかも知れませんね。
途中、着想を得たんです。みずうみ観賞の途中にね。
さざなみの文様が浮かぶ湖面をじっと見ている時、何となく、自然と、水のスケートリンクと風のブレードが思い浮かびました。つまり、水面の上を、風が滑っているわけです。普通の風ならただの滑走。三回まわるつむじ風ならトリプルアクセル。《お、あながち妄りなイメージなんかじゃないかも?》と一瞬思いましたが、いや、だめですね。
だって、スケートのブレードは綺麗な線を描きますもんね。あんなさざなみのような錯雑な文様なんかじゃなくて。
ひとりでに思い浮かんだものは何でも価値があると思い込んでいましたが、そんなことはなくて、ちゃんと、ちくいち吟味した方がいいですね。
長々と書いてしまいました。せいせいしたくて、何となくたっぷり書きたかったのです。
それではまた(o・・o)/~。