眠った村と壊れた橋。

レビュー多。

(習作)ワンダー・アラウンド・テール~かれらがめぐるもののこと~

 或る大きな球体、ボールやメロンのようにまんまるで親しみやすく、それでいてどこか神秘的な縁遠さのある、その周りの道を、ぼくは随分長い時間さまよっている。

 道は複雑に入り組んでいて、一本の道は何本もの似たような枝道に分岐し、また、道と道の間は青々と茂る木々に遮られて遠くを見渡すことが出来ず、その様はまるで容易に抜け出せない迷路のようだった。

 ぼくは、腰の後ろに手を組んで、足取りは緩やかに、屈託なく、好きな歌を口ずさみながら、軽快に歩く。

 その様子は朗らかなのが一目瞭然で、見た人はすぐに楽しそうと思うことだろう。実際ぼくは迷路を行くのを楽しんで、充実感を感じていた。たとえゴールに着かなくても構わないと考えていた。ただ近くの球体に目を遣りながら歩くだけで、充分快かったのである。

 だが、ぼくはたっぷりの疲労を溜め込んでいて、身体が重たくなっていた。足取りは昔より――しかしそれは一体何十年くらい前のことだろうか――ずっと鈍くなっており、時々組み直す手は硬く、感覚が遠く離れてしまったように、不自由である。みずからを「ぼく」と称するのも、少し僭越でカッコ悪く、おこがましく感じるほどだ。

 一体どれくらいの時間、ぼくは、この迷路の中を歩き続けているのだろう。それは多分、途方もなく長い時間で、きっと今のぼくは、自分の生命のほとんどが過去についえてしまっているに違いない。

 かつてここでぼくは、しばしば人とすれ違ったものだが、彼らは今となってはめっきりと少なくなってしまった。寂しいことである。

 すれ違った人の顔の一つ一つを、ぼくは未だに鮮明に覚えている。

 ぼくと彼らはすれ違った時、互いを敏感に感知し、関心有りげに相手の方を窺ったが、愛想よく挨拶し合うことは絶えてなかった。どちらも、その言葉が喉まで出かかっていたのにも関わらず、である。

 恐らく、ぼくも相手も引っ込み思案な気質だったのだろう。ぼくは「こんにちは」とか「ごきげんよう」の一言さえ簡単に言い出せない、臆病な自分がひどく恥ずかしかったが、背後を振り返ってみたら、遠くへと歩いていく相手の背中も、何かを恥じているかのように小さく畏縮していて、共感の情を誘った。

 すれ違ってからしばらく後にまた背後を振り返ると、遠くの方で必ずと言って良いほど、彼らは顔を上げて、球体の方を、ぼくがするのと同じように、憧れと畏敬の念に満ちた、恍惚とした眼差しでじっと見つめていた。

 ぼくはそんな表情を見た時、彼らの目元に自分の視線を押し付けて、何か反応が返ってくることをわくわくと心待ちにしていたが、ぼくと彼らの視線は、今に至るまでぴったりと合うことはなく、結局体と同じように相手のすぐ側を、悲しげに、おずおずと、通り過ぎていくばかりであった。


 この迷路に長くいる人たちは総じて球体に、まるで恋に落ちたかのように魅惑されていた。皆、球体と深く独特な関係を固く結んで、「彼」とか「彼女」などと気安く呼びながら、内面で親密に付き合っていた。

 かく言うぼくも、迷路にいるのと同じくらいの時間、「彼」とは長くよしみを通じており、その色々な表情を知り、かつ親しんでいる。

 彼はどれだけ眺めても飽きることがなく、神秘的な生命力と不思議な魅力を持って、鮮やかで特異な存在感をずっと維持していた。

 だが思い返してみると、昔の彼は今と画然と異なっていた。初めて見た時の彼は、ただのガスタンクにしか見えず、街外れに見かける無機質な施設の一つに過ぎない、大した価値のないものだと思った。つまらない野郎だという偏見を持った。

 だが、その印象は、長く付き合っていく内に今の具合へと徐々に変化していった。

 退屈としか思えなかった彼は、時間を経る内に次第に打ち解けて、やがて冷淡な殻でその内面を保護し隠すことをやめ、ぼくに様々な表情を見せてくれるようになった。喜怒哀楽を催すような、豊かな情緒と想念に満ちて、生き生きとした表情を、である。ぼくを含む、迷路の中の者は皆、その表情を見た途端胸を打たれて、苦しいような悲しいような、それでいて幾らか快いような気持ちになり、彼の存在を心にしかと焼き付けて一生忘れることはないと強く確信し、愛情を注いだ。彼もそれに誠実に応えてくれた。

 ぼくを含め誰もが皆、彼の方に行って、その側に寄り添いたいと切に思い願っていた。

 だが、全ての同じ願いは虚しい時間の経過に等しく打ち消され、多くの人が迷路の中で無残に斃れた。動かない彼と、時間の進行と、命の儚さは、過酷なものであった。

 しかし、それにも関わらず、我々、今生きている人々の中には、彼のもとへと向かうのを諦める者は一人もいなかった。皆、真剣に、愚直に、彼への憧れに従いながら歩を敢然と進め、命の砂時計がひっくり返るのも恐れず、みずからのまことに対して向かい合っていた。


 ぼくはもう腰弱の年寄りになってしまったが、迷路の中で時たま見かける――奇跡のような、本当に時たまの遭遇である――年端の行かない若人に、淡い期待を掛けている。まるで親が自分の子に対してするように、幾らか無理な期待を、押し付けがましく。

 彼らはその妙齢に反して幾分疲れ気味な様子をしているが、その内側の内燃機関はまだ新しく、爆発的なエネルギーを生み出す力を持っているに違いない。

 若人には、数少ない分余計に、彼の側に付いて離れずにいて欲しく願う。そして、彼に情を掛け、その表情に反映する感情のきらめきを拝んで欲しい、とも。


 ぼくは若人の若いことを羨ましく思う。ぼくは、まだ彼を見続けていたいが、命の砂時計がぼくの目の前で大きく傾いている。この世へのお別れが刻々と迫っているのだ。

 彼はきっと、ぼくが息絶えた後も、長きに渡って新しい表情を迷路の中の人々に見せてくれることだろう。それは信ずるに値する、ほとんど確かなことだ。


 ぼくにはこの世に残したい願いがある。つまり、ぼくがあの世へと旅立った後に遅れて来る、ぼくより若い人に、彼がどんな表情をしていて、そしてそれがどのように変化したのか、それらを是非とも教えて欲しいのだ。

 優しい人、いや、どんな人でも構わない。この際ぼくには選り好みする自由などないのである。

 迷路をさまよう、彼の表情に魅了されて、その虜となった人。どうかあなたに、彼の続きを物語って欲しいのだ。きっとあなたなら、ぼくとは違う、傾注すべき新鮮な言葉で、彼のことを情緒たっぷりに、まるで目の前に蘇ったかと思うくらい、絶妙に表現し教えてくれるに違いない。


 今、堅く冷たい地面の感触を頬に感じる。ぼくの寿命は時を移さず終わる。


 瞳をつーっと彼の方へ転じると、彼は澄んだ青色をしていて、昔テレビや図鑑で目にしたことのある地球に似て見えた。角のないまんまるの形をした、多くの生き物がひしめく、豊かな生命に満ちた青の惑星に、である。

 宇宙飛行士が宇宙から地球を眺めるかのように、彼を眺めるぼくは、不思議と地面の重力から解放される気がした。横たわる体がふわりと浮かび上がり、広大な虚空の高みへ、一筋の煙みたくゆらゆらとのぼっていく。ぼくの視界で、彼は小さくなっていき、やがて消えた。辺りには無窮の宇宙が、ぼく自身の宇宙が果てしなく広がった。

 数多の星々を含んできらめく宇宙の暗い流れは、柔らかい肌触りで冷たくなったぼくの体をかすめた。

 すると、或る微かな音色が、ぼくの内側に鳴り響いた。それは、ぼくにいたく懐かしい心地にさせると同時に、安らかな眠りへと誘う、揺りかごのそばの、母の子守唄であった。

 ぼくはそして目を瞑り、幾つもの思い出の星が詰まった宇宙の、無重力の自由の中で、或る蒼然とした夢を見ながら、遥か彼方のあの世へと、流氷のように水平に流れていった。

×

非ログインユーザーとして返信する